参考文書!  『 趣意書 』
映画 『 四つの終止符 』上映と講演会 開催のために

 近年、手話はブームを呼び、トレンディドラマとしても扱われ、手話に係わる人口は増えてきています。手話を第一言語(母語)とする聴覚障害者に対する理解も、少しずつ社会へ浸透し広がっていると思われます。しかし、それはごく一部の現象であり、聴覚障害者に対する、いわれのない偏見や差別の眼は、残念ながらいまだ残っていると言わざるをえません。
 聴覚障害は、時に、障害の中で最も重い障害といわれます。なぜなら、耳が聞こえない、音声言語を話せない、という障害そのもの、いうなれば『一次的障害』に加え、健聴の子供ならば成長の過程で自然に身についていく社会の常識や知識が、自然には身につかない、獲得しにくい、という『二次的障害』があるからです。さらに、この『二次的障害』はなかなか正しく理解されず、それゆえ、ろうあ者は偏屈だ、とか、非常識だと偏見を持たれたり、無理解からくる差別を受けたりという『三次的障害』が生み出されるのです。
 聴覚障害は外見では分からない、見えない障害です。 
 過去に、とある駅のホームで、あるろう者が、突然、背後から突き飛ばされて、ホームから転落するという事件がありました。犯人は被害にあったろう者にとっては全く見知らぬ男で、突き飛ばした理由を聞くと、何度も声を掛けたのに返事をしなかったから、思わずカッとして、ということでした。もしも、彼が突き飛ばした人がろう者であること、ひと目見て耳の聞こえない人であると分かっていたら、この事件は起らなかったのもしれません。
 このように、聴覚障害者の多くは、自分たちの障害が見えない障害であるがゆえに、外部とのコミュニケーションがとりにくい、という悩みをいつも抱えています。また、第一言語が手話であるために、自分たちの悩みを直接的に伝えることもままならないという現実が、その苦悩をさらに濃くしているのです。
 『四つの終止符』は、まさに『「聞こえない」とはどういうことなのか』を描いた映画です。コミュニケーションがとれない、心や気持ちのやりとりができない苦しさを、意図的に、意欲的に描いた映画です。ハッピーエンドの映画ではありません。障害があっても挫けず、負けず、明るく生きている、という類の映画ではないのです。しかし、映画の監督である大原秋年氏は、20年以上にわたるろう者との交流を通して、聴覚障害者自身やその家族、関係者の苦悩を切実に知る人物であり、氏の講演とあわせて映画を観ることによって、きっと『聞こえないとはどういうことか』を感じていただける、と考えます。
 さらに、『聞こえない』という障害を知ることにより、他の障害や障害者に対しても真摯な気持ちで向き合い、受け止め、互いに認めあい理解しあい、いつか、本当の地域社会におけるノーマライゼイションが実現されることを願い、私たち映画『四つの終止符』を観る会は、映画『四つの終止符』上映と講演会を企画致しました。
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